なんだか、小沢一郎の発言で、宗教について騒がしくなっています。
いくつかのブログを読んで感じたのは、
「突っ込みどころが違うだろう!」と言うことです。
あの「一神教は排他的で独善的な宗教だ。」というのは、
「排他的で独善的な宗教だった。」と言う過去形であれば、
何も間違っていません。
実は、RAMは、中学生の時に洗礼を受けた、プロテスタントのクリスチャンでした。
「過去形」で書いたのは、三十代で、感じるところがあって棄教したからです。
その理由が、自分が通っていた教会の長老と言われる連中の排他性と独善性、でした。
そもそも、一神教は、「排他・独善」にならざるを得ない確信体系です。
「他の神々」を認めないから「一神教」なのです。
イコール、他の価値観を認めない、と言うことです。
さらに、聖書でも、コーランでも、他の宗教を信じるものを「悪魔の手先」とし、
これを滅ぼすことを「善」としています。
エジプトから出て、彼らが「神に約束された地」としているユダヤの地に至る間に、
通り道にあった「エリコ(ジェリコ)」などの町の住民を皆殺しにしたことが、
旧約聖書「ヨシュア記」あたりに誇らしげに書かれています。
また、神自身が「ノアの洪水」や「ソドムの消滅」など、
自分をおろそかにした人間達を滅亡させていますね。
この考え方は、ユダヤ教からキリスト教に受け継がれ、
「十字軍の遠征」「植民地支配」など、他民族圧迫行為の
宗教的・精神的な面での理由にされてきました。
バチカンが、これらの件で、考えを変えたのは、第二次大戦以降、です。
故に、今なら、過去形を用いるべき、なのですね。
さらに、我が国の仏教でも、創価学会をはじめとする「日蓮系」は、
現在でも「折伏」をしているほど、排他的で独善的な宗教です。
つまり「外来の一神教だけを攻撃するのは、間違いである」と言うことです。
今、小沢攻撃をしている人たちは、戦前までの、
「オランダのアジア植民地経営」を悪く言っていたのではありませんか?
小沢一郎という「糞野郎」が言えば、駄目なのですか?
問題は、キリスト教に関しては、ローマ法王がすでに反省の言葉を出したにも関わらず、
「現在形」として発言した認識の誤り「見識のなさ」であり、
さらには、自国にも同様に「排他的で独善的な宗教」が、政治勢力まで持っていながら、
それに知らん顔をした「卑怯さ」と言うことでしょう。
何にでも、どうにでも、噛み付けばよいというものではありません。
おまけ
「キリスト教は愛の宗教」などとよく言われますが、この「愛」も、
鳩山(兄)が使い間違えている「友愛」と同じく、
「同じサークルにいる者のみに適用される」性質のものです。
誰かが「自由・平等・義兄弟」と書いていましたが、正鵠を射ていますね。
そのような類の「愛」にすぎません。
「博愛」と思わせているのは、結婚式を挙げさせて、
稼ぎたいが為の「方便(仏教用語ですが)」に近いものです。


by RAM
再び、原発とか、色々について…